毎日近所のお惣菜屋さんで関西弁のレクチャーを受ける野島です。こんばんは。




僕は愛知県豊橋市生まれで、3歳の頃から静岡県藤枝市で中学生まで過ごしました。
高校は剣道の推薦で日大三島高校に進学したので静岡県の三島市で生活し、大学は東洋大学法学部法律学科に進んだので東京で4年ほど生活しています。



大学卒業後しばらくしてから実家の藤枝に帰り、その後靴屋を目指し東京浅草へ。
浅草の婦人靴メーカーに就職し、約7年弱勤めた後、東京代官山で初の個展を開催しました。






人生30歳のここまでで、関西は全く登場しない道を歩んできたのですが、吉靴房を作るにあたり、「日本」をテーマにするのであれば、ローマでもパリでもロンドンでもなく、京都が世界一相性が良いはず!との一念で京都に移住しました。


工房引越し当時






京都で吉靴房を立ち上げ、しばらくした後に靴製作教室を始めました。
それまでお客様と接する機会はあるものの、関西の人と接する機会がなかったのですが、教室の生徒さんは全員関西人。







ここで初めて関西の洗礼を受けることになります。











今でも印象に残っているファーストインパクトは、










「M-1を見たことがない!?!?!?!?!?」
「マジで言うてはるんですか!?ないないない、ありえへんありえへん」


とその場にいた生徒さん全員に唖然とされ、総ツッコミを受けたことです。










次の週には生徒さん全員がそれぞれここまでのM-1のDVDを各自持ってきて貸してくださり、毎日漫才をみて教室でレポート提出といわんばかりの感想を述べる。





ダウンタウンはもともと大好きでしたが、他の芸人さんはほぼほぼ知らなかった僕にとってかなりのカルチャーショックでした。








教室を始めたおかげで関西圏の文化に初めて触れられた僕は、毎日のようにスタッフのいじりとツッコミの洗礼を受け、ここでようやくあることに気づきます。








「関西のいじりとツッコミって愛や優しさがあるな・・・」









ここまでの人生で全くそのことを知らなかったので、あまりにいじられすぎるとなんだかイラッとすることが少しあったのですが、そこに気づいてから世界が広がりました。










子供は2人いて現在中学1年生の息子と、小学4年生の娘が完全に京都人として育っています。






僕は京都に来てから離婚したので、今は子供達と月に1~2回ほどのペースで会うのですが、今度は子供達に関西の教育のすごさを見せ付けられました。







母親に大好きな3DSを、言うことを聞かないという理由で奪われてしまったようなのですが、それを僕に伝えるときに、ニヤニヤしながら




「ゲームずっとやってたら、3DSもうやったらあかん言うてお店に売られてしまってんな!」




言いながらケタケタ笑う姿にびっくり。。。




子供にとってかなり大事な部類に入るはずのゲームをもうやることができないと嘆くのではなく、このエピソードはおいしいといわんばかりの顔で僕に伝えてきたのです。





生徒さんにこの子供達のエピソードを話すと、それ完全においしいとわかってる。
いい関西人に育ってる。
つらいからこそ笑いに変えるべきとわかってる
ええ子に育ったな~。などなど



お褒めの言葉をいただきました。笑












先日も娘が僕の8年位前のパネルの写真をみて、


お父さんこれ何歳くらい?と聞いてきたので、35歳くらいのときかな~。7~8年前だよと答えたら







「若っ!超わっか!!」「全然ちゃうな~」




と飛び切りの笑顔で言ってきました。笑


保育園に通ってたころに




「お父さんてふとっちょやんな!」


って言ってた時も超にやにやしてたのを忘れてないぞ!笑








それから全く痩せられてないんですけどね!




そこに愛があれば大丈夫!








関西の笑いの文化は偉大です!


まだまだ関西のそして京都の文化でわからないことがたくさんありますが、今後ともよろしくお願いいたします!