子供の頃、実家に歴史に関する資料やマンガ日本の歴史や小説が本棚に並んでいて、たぶん祖父と父の物だと思うのですが、なんとなく手にとって目を通していました。




やりたいことも好きなことも熱中することもあまりない少年時代を過ごしていたので、昔のことを思い出そうとしてもインパクトすごかったことしか思い出せないんですよね。笑
でもまあ日本史関連は何度も何度も同じ本を繰り返し読んでいたので記憶は割と鮮明な方です。






勉強は特に嫌いなほうではなく、数学と歴史は自分で好きなことだけ集めたノートを製作していました。
テスト用とかではなく、今思えばデザインや構成を最初に意識したのはこのノートつくりだったように思います。









素朴で単純なことで気になることがあると調べないと気がすまないという性格はその頃から変わってないと思います。






続けていた剣道は面白いと思っていたことがなく、むしろ退屈で、稽古しながらでもそういえばお寺と神社って何が違うんだろうとか、近所の栃山川はずっと進んでいったらどこにつながっているんだろうとか、剣道の試合中によそ見をしていて打たれて負けたとか、とにかく集中できない子供でしたね。






日本史が面白くなってきたのは、正確には覚えてないですが、


「人間とは何ぞや。」
「命とは何ぞや。」
「なぜ生まれてきたのだろうか。」
「そもそも他の命を奪わないと生きられないのは如何なものか。」
「なぜ争うのか。」
「意識とは何なのか」
「心とは魂とは」



というようなおそらく誰もが一度は考えるであろうという疑問について、まず日本の歴史について知ることで理解できるところがあるのではと思ったのがきっかけです。




のめり込むようになったは

哲学者の梅原猛氏が著した「隠された十字架」という本でした。
これは法隆寺についての考察なのですが、教科書に書いてあったこととあまりにも違っていたのに深く納得し、しかも当時16歳の僕には恐ろしく難しい文章で、読みきること自体が難しかった覚えがあります。





聖徳太子が怨霊であり、それを鎮魂するための装置であるということを様々な歴史的、学術的資料を用いて論考しているのですが、教科書よりはるかに説得力があるように感じたので、その後縄文時代から弥生時代、卑弥呼を経て飛鳥時代、平安時代までと比較的古い時代のことに強い興味を持った16~22歳の学生時代でした。
剣道をやっていたのに武士に興味をあまり待ってなかったですね。日本刀や甲冑のデザインは興味を持ってましたが・・・






この頃にいろいろ調べたことは、今の仕事で重要な部分を担っていて、人生って面白いものだなと思います。




歴史を深く知るためには他の関連事項も知らなければいけないですし、特に哲学や宗教学や唯識や地政学は今も特に勉強したいところです。興味のある分野の大学にも行ってみたいなぁ。